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◆ 2008年10月26日 宗教改革記念礼拝式

◎みことば
『神はわれらの避け所、また力。苦しむとき、そこにある助け。、、やめよ。わたしこそ神であることを知れ。、、万軍の主はわれらとともにおられる。ヤコブの神はわれらのとりでである。』                                         詩篇46/1、10、11


◎説教要旨 [福本行宏牧師]
テーマ:『信仰と愛による変革』
テキスト:詩篇46:1~11、ローマ3:23~30

この詩篇からマルチン・ルターは世界的に有名な讃美歌を作った(讃美歌267,聖歌233)。
歴史的背景としては、B.C701アッシリア王セナケリブによるエルサレム包囲とそれからの神による奇跡的解放が考えられる。Ⅱ列王記18:13以下、イザヤ36章以下参照!
この詩篇全体の主題は、神が共におられることこそ、平和と安全の確かな保証であり、確信である、ということである。

Ⅰ、神は真の避け所であると確信する。46/1-3

46/1神への信頼を表明している。
極、最近の出来事を通して、体験された神の助けを告白している。『そこにある助け』とは、困難や重苦しい状況の中で、容易に見出される助けのことで、他の所へ助けを呼び求める必要がないことを告白している。イザヤ30/2-3

46/2、3イスラエルを選び出された神が万物の創造者であり、支配者である、という信仰の表明とそのような神に信頼する者に動揺は決してない、という信仰告白である。

Ⅱ、神の民の確信。46/4-7

46/4『神の都』聖都エルサレムに対する神の確かな守り。イザヤ8/6、33/20、21
神は今も私たちと私たちの教会、主を中心とした家庭を安全に守って下さる。これを信じよう!

46/5『夜明け前』の助けとは、敵の総攻撃が始まる前に、神が敵を撃破して下さったという事実を示す。イザヤ37/36
私たちを惑わし、誤魔化し、罠に陥れようとするサタンの猛攻を未然に防いで下さる主なる神。
そのために私たちは祈りとみ言葉に専念し、主イエスの十字架の血潮を堅く信じよう!

46/6『立ち騒ぎ』は、三節の『水が立ち騒ぎ』と同じ語である。諸国が神の民イスラエルを攻撃して来た時、神に敵対する者どもが、神の御力によって、地が溶けるように恐れおののいている様子を示している。サタンの誑(たぶら)かしだけでなく、私たちを取り巻く諸々のざわめきも、神によって打ち退けられる。

46/7『ヤコブの神はわれらのとりでである』ヤコブを苦難の中で守り抜いて下さった神が共におられるというインマヌエル信仰と確信が、あらゆる動揺から免れさせたとの告白である。
『とりで』とは、『高く上げる』(20/1)から出た言葉で、神を信じる信仰者はそこがどんなに危険な状況下であっても、神によって安全な高き所に引き上げられる、足の下に踏みにじるということ。

Ⅲ、『わたしこそ神であることを知れ』。

46/8『荒廃』は、『すさまじいこと』『恐ろしいこと』という意味である。申命記28/37、
Ⅱ列王記22/19。主なる神が為された御業は強大なアッシリヤ軍の大敗北という驚くべき出来事であり、イスラエルに奇蹟の大勝利をもたらせた。
主はサタンの王国、暗黒の黄泉を打ち砕き、死を滅ぼし、罪と滅びに縛られている者を解放する勝利の主、復活の主である。

46/9『戦いをやめさせ』ることが主なる神の意図。イザヤ2/4、ミカ4/3、ゼカリヤ9/10

46/10『やめよ』は、『力を捨てよ』(新共同訳)という意味で、人類の歴史は戦争の歴史であるが、
もういい加減に醜い争いは捨てて、平和の君と共栄共存する道を選んではどうか。

人類が世界が捨てなければならない事物は山ほどあるが、私たち個人個人も捨てるべき事がある。堕落させる世俗的な慣わし、罵詈雑言、憎しみ、妬み、悪口、愚痴、好色、淫(みだ)らな冗談、マルコ7/20~23。
不信仰、不従順、疑い、迷い、失望、落胆、あらゆるマイナス思考も捨て、主こそ神であることを信じて、神は常に私たちと共に居て、助けて下さることを信じ続けよう!
日本イエス・キリスト教団
西宮聖愛教会
 
牧師 福本行宏

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