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◆ 2009年11月22日 主日祝福礼拝式

◎みことば
『神は人を創造されたとき、神に似せて彼を造られ、男と女とに彼らを創造された。彼らが創造された日に、神は彼らを祝福して、その名を人と呼ばれた。アダムは、、彼に似た、彼のかたちどおりの子を生んだ。彼はその名をセツと名づけた』                                            
                               創世記5:1~3

◎説教要旨 [福本幸枝師]
テーマ:『神と共に歩む至福の生涯』
テキスト:創世記5:1~32

Ⅰ、アダムの歴史の記録。

五章のはじめにこれはアダムの歴史の記録である、と述べられているように、創世記5章はアダムからノアまでの系図が記録されている章です。
そして、『神は人(アダム)を創造されたとき、神に似せて彼を創造された』(創世記5/1)とあります。
また、創世記1/26、27には、『神は人をご自身のかたちとして創造された』とあります。
ところが、創世記三章に述べられている人間の堕落によって、その神のかたちが失われてしまった。
『神のかたち』とは、①永遠であること②聖であること③愛であること等々です。
人間はこの神のかたちをもって存在していた。

Ⅱ、赤子に等しい私たち。

生まれたばかりの赤ちゃんを見ますと、その姿に清らかさと純粋さを感じます。
そしてそこに『神に似せて創造された』人間の原型を見ることが出来るのではないでしょうか。
しかし、人間は成長するに従って罪の姿が現れる。
5/3『アダムは、、彼に似た、彼のかたち通りの子を生んだ』とあります。
これは罪人が罪の子を生んだ、罪を犯す性質をもった人間が罪を犯す性質を持った子供を生んだと言うことです。
人間は罪を犯すから罪人になるのではなく、罪の性質を持った罪人ですから罪を犯すのです。

創世記五章を読んでいますと、葬送の列を見る思いが致します。繰り返し繰り返し、『生まれて、、、死んだ』と述べられています。
この記事は命ある者はすべて死に至る者であることを直視しなさい、という警告です。
サタンはアダムを誘惑した時、『あなたは決して死なない』(創世記3/4)とだましました。
更に、神に頼らなくても善悪を知る賢い者になりますよ、と追い打ちを掛けました。
言葉には出て来ませんが、神を頼らなくても、神のように偉い者となって、最も人間らしく仕合わせに生きることが出来るよ、と誑(たぶら)かした。
サタンの巧妙な甘言にマンマと騙(だま)された彼らは互いに罪を擦りあい、罵(ののし)りあい、愛を喪失してしまって哀れ、楽園エデンから追放されてしまったのです。
そして彼らの堕落が家庭の崩壊へと拡がっていったのでした。
すなわち、彼らの最初の子、カインが妬みと憎しみによって、弟アベルを惨殺したのです。

Ⅲ、エノクの回心と信仰生活。

創世記5/21『エノクは65歳になってメトシェラを生み、300年、神と共に歩んだ』と述べられたいます。
創世記5章21~24までの短い記事の中に、エノクがどのように回心したのかが述べられている。

①メトシェラの誕生の際、彼は父親として、この複雑な社会でどのように健全な家庭を築き、子どもを正しく養育できるだろうか、と考えました。

②『神と共に歩んだ』と二度も記されていることは、彼の生きざまが神様と人々に信頼されていた、認められていたことの証詞です。

神と共に生きる至福の生涯を送ったエノクです。
『神と共に歩んだ』ということは、敬虔な信仰によって神様をいつも信頼して、日常生活を営んでいたということです。ヘブル11/5、6

信仰の歩みというものは、ある意味に於いて、単調で然も忍耐の要ることのように思われます。
信仰生活の規範五つの務めにも記されているように、これが神と共に歩んでいることの証明です。
次週からアドベント、マタイ1章23節イエス様は「インマヌエル」と呼ばれました。
神様はいつでも、何処ででも、私たちと共に居られます。エノクは遥か昔、 すでにその時代に、インマヌエルを日々自覚しながら生活していたのです。
今私たちは毎日の生活の中で、どれ程、インマヌエルを自覚しているでしょうか。

日本イエス・キリスト教団
西宮聖愛教会
 
牧師 福本行宏

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