◆ 2010年1月1日 元旦祝福礼拝式
◎みことば
『ただ、この一事に励んでいます。すなわち、後ろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリストイエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標をめざして一心に走っている。』 ピリピ3:13、14
『ただ、この一事に励んでいます。すなわち、後ろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリストイエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標をめざして一心に走っている。』 ピリピ3:13、14
◎説教要旨 [福本行宏牧師]
テーマ:『雄々しく強くありなさい』
テキスト: ヨシュア記1:1~9
〝おめでとう〟この言葉は聖書の思想から言えば神の祝福を願う挨拶ではないか、と思う。
出エジプト記12章によりますと、イスラエルの民は、神の指図に従ったので、無償で溢れるほどのお年玉を授かり、意気揚々とエジプトを出立した。
それは新しい希望と祝福に満ちた出発であった。これが彼らにとっては真のお正月であった。彼らは心の底からおめでとう、と言えたのである。
正月とは、楽しく、喜ばしい時、という意味がある。
睦月(むつずき・・陰暦正月の異称)。
今年も人とも仲むつまじく、神様とも仲むつまじい一年でありたい、と心の底から願います。
そのために神の言は非常に助けになる。ヨシュア記1:8
エキソダス(出エジプト)の時に、傷のない無垢な小羊の血が流された。出エジプト12:13、14
これは私たちにとっては、イエス・キリストの十字架の血をあらわす。
イスラエルの民は古きエジプトの奴隷生活からの解放でしたが、私たちのためには、罪と滅びからの救いのために、キリストが十字架で血を流して下さった。
またそれは人生に起きて来る思わぬ悲しい出来事や悩みからの解決・解放のためであった。
Ⅰ、神を信じ、神を礼拝する、神第一の生活。
この一年も徹頭徹尾神を信じ、神に期待し、神に従い続ける。
主なる神様は渋賃の神ではなく、何事にも豊かな神様ですから、わたしたちを見放したり、
見捨てたりはしない。ヨシュア1:5
だから、私たちも神を見くびったり、信仰を捨てたりするのではなく、信じること、従うこと、ささげることにおいて、豊かな気持ちで生活していこう。
面白くないことや、気に入らないことが起きても、挫けるようなことがあっても、神はいつも聖霊とみ言葉をもって私たちを助け起こして下さる。だから、信仰を失うことの無いようにしょう。
信仰の祭壇をいつも立て直して生活しよう。
Ⅱ、神は望みの神、平安・喜びはここから来る。
浮世の濁流に呑み込まれないために、この一年も望みの神を当てにして生活しょう。
神と共に生きる人生は、損しているようで実は得をしている。犠牲を払ってマイナスになっているのではないか、と思うようなことがあっても、実は心が豊かになって、プラスの人生が開けて来る。
神と共に生きる人生に一欠片のマイナスもない。
望みの神を信頼せず、世俗に未練を残して心を引かれてしまえば、身も心も魂もすべて、骨抜きになってしまい、蝉の抜け殻のような人生に終わってしまう。
信仰の一歩一歩の歩みには、あなたが感じても感じなくても、意識しても意識しなくても、神からの祝福・勝利・平安・喜び・希望・愛などが積み重なっていく。『天に宝を積む』
Ⅲ、神の御前(みまえ)に謙虚に跪(ひざまず)く。
『主の日』神の決定的な審判の日、人間の知識や想像を遙に超えて、神の力が未曾有に大爆発する日が来れば、誰もこれを止めることは出来ない。それは一瞬にして起きる。
現在起きている不気味な事件や異常な自然界の出来事は、その瞬間的に起きるさばきの前触れである。神を蔑(ないが)ろにして来た人類世界に今、途轍もない大きなツケが異様な形で噴出している。
人類は底無し沼にズルズルと引きずり込まれ、不気味な力に喘(あえ)いでいる。
追い詰められている今こそ、人類は神に立ち帰り、神の愛と赦しを受け留めなければならない。神は近くにおられる。
『あなたの神、主が、あなたが行く所、どこにでも、あなたとともにあるからである』
ヨシュア記1:9
終わりの日が近いのであれば、キリストの救いはもっと近い。
神の前に謙虚に跪(ひざまず)き求めよう!
キリストが復活したからには、何が起ころうと、どんな問題に会おうとも大丈夫である。
神が平安と希望を約束しているので、私たちにも回復の望みが残されている。
『わたし自信がいっしょに行って、あなたを休ませよう』出エジプト33/14
出エジプト記12章によりますと、イスラエルの民は、
それは新しい希望と祝福に満ちた出発であった。これが彼らにとっては真のお正月であった。彼らは心の底からおめでとう、と言えたのである。
正月とは、楽しく、喜ばしい時、という意味がある。
睦月(むつずき・・陰暦正月の異称)。
今年も人とも仲むつまじく、
そのために神の言は非常に助けになる。ヨシュア記1:8
エキソダス(出エジプト)の時に、
これは私たちにとっては、イエス・
イスラエルの民は古きエジプトの奴隷生活からの解放でしたが、
またそれは人生に起きて来る思わぬ悲しい出来事や悩みからの解決
Ⅰ、神を信じ、神を礼拝する、神第一の生活。
この一年も徹頭徹尾神を信じ、神に期待し、神に従い続ける。
主なる神様は渋賃の神ではなく、何事にも豊かな神様ですから、
見捨てたりはしない。ヨシュア1:5
だから、私たちも神を見くびったり、
信仰の祭壇をいつも立て直して生活しよう。
Ⅱ、神は望みの神、平安・喜びはここから来る。
浮世の濁流に呑み込まれないために、
神と共に生きる人生は、損しているようで実は得をしている。
神と共に生きる人生に一欠片のマイナスもない。
信仰の一歩一歩の歩みには、あなたが感じても感じなくても、
Ⅲ、神の御前(みまえ)に謙虚に跪(ひざまず)く。
『主の日』神の決定的な審判の日、
追い詰められている今こそ、人類は神に立ち帰り、
『あなたの神、主が、あなたが行く所、どこにでも、
ヨシュア記1:9
終わりの日が近いのであれば、キリストの救いはもっと近い。
神の前に謙虚に跪(ひざまず)き求めよう!
キリストが復活したからには、何が起ころうと、
神が平安と希望を約束しているので、
『わたし自信がいっしょに行って、あなたを休ませよう』
※当教会はエホバの証人(ものみの塔),
統一教会(統一協会),モルモン教など
とは一切関係ありません。
これらでお困りの方はご相談ください。
統一教会(統一協会),モルモン教など
とは一切関係ありません。
これらでお困りの方はご相談ください。